好きな言葉

好きな言葉:言葉で遊ぼう

言葉遊びというか日本語の難しさを楽しみましょう。遊び感覚で言葉や漢字を覚えています。:好きな言葉:言葉で遊ぼう

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「好きな言葉」関連 言葉で遊ぼう

一陽来復

一陽来復とは、良いことが返って来るという意味だそうで、中国でいう陰陽の陽が来たるということです。
つまり、良いことがある、来るということになるので良い意味の言葉です。
気持ちの問題なので、人それぞれ解釈もあるのでしょうが、本来の意味というより、自分がどう感じるかが大切でしょう。
ここでは、学問的な意味を羅列するよりも、自分が感じる言葉の印象を書いていこうと思います。

私は思う

私は思う。と言う言葉が好きというか、私には思いしかないのでは?
と言う気がしてなりません。
「我思う、ゆえに我あり」というデカルトの有名な言葉ではないですが、私たちに思い以外の何者かが存在しているのか疑問に感じるときがあります。
ちょっと意味が違うかな?
私は思いだけが自由であると感じています、それ以外はほとんど自由を感じたことがありません。
「これこれはこうである」と言うような断定的なものの言い方が嫌いです。
何をどう思おうと各自の自由だと考えているからです。
心の中の考え、思いだけが本当の私なのかなと考えることがあります。
仏教などでは思いすら自分ではないと言っていますが、私はまだまだ未熟なので、思いは自分のもので自由だと感じてしまうときが多々あります。
この最高の能力に感謝しています。ありがとう。

明鏡止水

明鏡止水:めいきょうしすい
我流解釈:
きれいな鏡のような澄み切った心で、静止している水のように静かにしていなさい。
これは精神修養のたとえで、心の状態を言い表すときに使われていたと思います。
瞑想状態を深める心境というか、深まった心境を指していると言うことです。
実際、明鏡止水のような心境になることはかなり難しいことでしょうが、その境地を目指して修行中です。
心を空っぽにしていくことも必要なのでしょうし、集中しているようで集中していないような微妙な境地であることは間違いありません。
いつか必ずその境地を体験できることを信じて進んでいきます。
本来の意味は:曇りもない鏡や静止している水のように、明るく澄みきった心境。のことだと言うことです。

一意専心

一意専心:一つのことに心を向け続け、他のことは一切気にしない。
精神集中とか精神統一と呼ばれているような境地のようです。
もちろん、いろいろな意味で使われたりすることもあるのでしょうが。
気持ちを集中し続けて、何かを行うのは内容が深いものになるでしょう。
ただ、心を集中して何かを行うことはもちろん、集中することだけで難しいことなんですね。
そして、心は訓練しなければすぐにあちこちさまよい歩き出す性質のもののようです。私も集中力のある人はほとんど見たことがありません。
目に見えない心の訓練はうまくいかないこともあるかもしれませんが、実行して損することはまずありませんから、少しずつでも訓練しましょう。
必ずうまくいくでしょう。
私も心の訓練中です。もう十年以上実行しているでしょうか、効果は上々です。社会的にはです。
精神的にはまだまだのところですが、これからも継続して結果を出したいです。

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